春の訪れを感じる花 人生の物語を感じる花

道を歩いていたら、ふわっと優しい香りが漂ってきました。

香りに導かれて周りを見渡すと、
日陰にひっそりと咲く沈丁花の花と目が合ったのです。

沈丁花の花の香りは、割烹着を着たお母さん。

花自体は地味なのだけど、
陰でいつも支えてくれるなくてはならない存在で
そこにいるだけで、何とも言えない安心感を感じる花なのです。

春の花の代表といえば、やっぱり桜だけど
沈丁花の花も、春が来たんだなと感じさせてくれる花の一つです。

ユキヤナギも少しずつ咲き始めました。
満開にはもう少しかな。こちらは昨年4月の満開時に撮った写真。

この花を見ると、子どもの頃の自分を思い出します。

小学生のとき、住んでいた団地の目の前には芝生があって
そこに寝転んでいつもそれを眺めるのが日課でした。

いつも私が寝転ぶ場所の近くに、このユキヤナギが植えてあって
春になると、可愛い小さな花たちがたくさん集まって懸命に咲くのです。

小さな私は、このユキヤナギの花の中にうずまって
この花の間から顔を出して遊んでいたものです。

その姿は、真っ白でフワッとしたドレスを来たお姫様のようで
絵本の中の主人公になったような感じがして、楽しかったことを思い出します。


大きくて派手な花も華やかで素敵なのだけど
私は、こういった小さな花の集合体にどうやら惹かれるらしいです。


例えば、薔薇や百合のような大輪の華やかなお花が
主役を張れる女優だとしたら

小さな花の集合体は、名前の出ないわき役で
たくさんの通行人みたいなもので。

でも、その物語の中では、実は重要な役割があって
そのときは、目立たなくて何のためにいるのか分からない役だったのだけど
あとから物語を見直したら、あれ?この人たちってもしかして私の人生において
必要な人たちだったんじゃない?って気づく、みたいな。

袖触れ合うも他生の縁、ということわざがあるように
名前も覚えていないような人たちにも、ちょっとした優しさをいただいたり
私の至らなさを許してくださったり、

そうやって見えない部分でも少しずつ支えていただいてきたから、
今、私は命があるのだろうな、と思うから。

そういったささやかな愛を、
私は今まで、どれくらい気づくことなく通り過ぎてきてしまったのだろうと思うと
自分の視野の狭さに愕然としてしまうのだけど。

だからこそ、そんなささやかな愛にも気づける視点を持ち
それを拾える自分で在りたいと、心からそう思うのです。

そして、私自身も、誰かの人生の中で、
「あのとき親切にしてくれた通りすがりのおばちゃん」みたいな
日陰でひっそりと咲く沈丁花のような存在になれたらいいな、と
最近は思うこともあるのですが、それは年齢が重なってきたからでしょうか。

そんなふうに思えるようになったのも
私もずいぶん丸くなったものだなあと感じるところでもあります。


みなさんにも、春の訪れを感じる花、人生の物語を感じる花がありますか?

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