人間関係を突然切りたくなる 人間関係リセット症候群について

【人間関係を突然切りたくなる 人間関係リセット症候群について】

あなたは人間関係をバサッと切ってしまったという経験はありますか?

あるいは、何の前触れもなくバサッと切られた経験はありますか?

この前まで仲良く出かけていたのにいきなりブロックされたりしたら
ビックリしますよね。

急に人間関係を切ったりすることが多い人は
「人間関係リセット症候群」かもしれません。

人間関係リセット症候群、その対処法とは

アメブロのほうに書いています。
読んでみてくださいね。
https://ameblo.jp/saoty/entry-12665337573.html


アクセル踏みながらブレーキを踏んでしまう相反する感情を統合する方法とは

OSHO禅タロットと次元変更心理学でスリムな思考を手に入れ、
全ての人たちが「人生最高!」と言える世界を実現する!
健康的に運気を上げる食習慣を文化にし、最高の人生の創造を志すさおりです。


今日は、アメブロのほうに書いた記事をご紹介。


【アクセル踏みながらブレーキを踏んでしまう。相反する感情を統合する方法】

「私を見て」という私と「私を見ないで」という私。

こんなふうに相反する感情がどちらもある。
ということありますよね。

こういう相反する感情って
アクセル踏みながらブレーキ踏んでる感じになるので

前に進みたいけど、進めない。という感じになってしまいます。

これって、進もうとする力と、止めようとする力と
同時に使っているので、ものすごくエネルギー使っています。

でも、見た目には、前に進んでません。

一生懸命やっているのにうまくいかないな~
なんか疲れちゃうな~

そう感じることがあるなら
「アクセル踏みながらブレーキを踏む」をやっている可能性があります。

あ~、私やってるかも~。という方は
ぜひインナーチャイルドセラピーをお勧めします。


続きはこちらをどうぞ
https://ameblo.jp/saoty/entry-12664145222.html



インナーチャイルドセラピーについてはこちら
インナーチャイルドセラピー

OSHO禅タロットリーディング講座の中でも
やり方をお教えしています。
OSHO禅タロットリーディング講座

春の訪れを感じる花 人生の物語を感じる花

道を歩いていたら、ふわっと優しい香りが漂ってきました。

香りに導かれて周りを見渡すと、
日陰にひっそりと咲く沈丁花の花と目が合ったのです。

沈丁花の花の香りは、割烹着を着たお母さん。

花自体は地味なのだけど、
陰でいつも支えてくれるなくてはならない存在で
そこにいるだけで、何とも言えない安心感を感じる花なのです。

春の花の代表といえば、やっぱり桜だけど
沈丁花の花も、春が来たんだなと感じさせてくれる花の一つです。

ユキヤナギも少しずつ咲き始めました。
満開にはもう少しかな。こちらは昨年4月の満開時に撮った写真。

この花を見ると、子どもの頃の自分を思い出します。

小学生のとき、住んでいた団地の目の前には芝生があって
そこに寝転んでいつもそれを眺めるのが日課でした。

いつも私が寝転ぶ場所の近くに、このユキヤナギが植えてあって
春になると、可愛い小さな花たちがたくさん集まって懸命に咲くのです。

小さな私は、このユキヤナギの花の中にうずまって
この花の間から顔を出して遊んでいたものです。

その姿は、真っ白でフワッとしたドレスを来たお姫様のようで
絵本の中の主人公になったような感じがして、楽しかったことを思い出します。


大きくて派手な花も華やかで素敵なのだけど
私は、こういった小さな花の集合体にどうやら惹かれるらしいです。


例えば、薔薇や百合のような大輪の華やかなお花が
主役を張れる女優だとしたら

小さな花の集合体は、名前の出ないわき役で
たくさんの通行人みたいなもので。

でも、その物語の中では、実は重要な役割があって
そのときは、目立たなくて何のためにいるのか分からない役だったのだけど
あとから物語を見直したら、あれ?この人たちってもしかして私の人生において
必要な人たちだったんじゃない?って気づく、みたいな。

袖触れ合うも他生の縁、ということわざがあるように
名前も覚えていないような人たちにも、ちょっとした優しさをいただいたり
私の至らなさを許してくださったり、

そうやって見えない部分でも少しずつ支えていただいてきたから、
今、私は命があるのだろうな、と思うから。

そういったささやかな愛を、
私は今まで、どれくらい気づくことなく通り過ぎてきてしまったのだろうと思うと
自分の視野の狭さに愕然としてしまうのだけど。

だからこそ、そんなささやかな愛にも気づける視点を持ち
それを拾える自分で在りたいと、心からそう思うのです。

そして、私自身も、誰かの人生の中で、
「あのとき親切にしてくれた通りすがりのおばちゃん」みたいな
日陰でひっそりと咲く沈丁花のような存在になれたらいいな、と
最近は思うこともあるのですが、それは年齢が重なってきたからでしょうか。

そんなふうに思えるようになったのも
私もずいぶん丸くなったものだなあと感じるところでもあります。


みなさんにも、春の訪れを感じる花、人生の物語を感じる花がありますか?

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人生の中でのターニングポイントを見つけ出し
次元を超える視点を手にれるセラピーがあります。

自分の人生の振り返りをしたい方、心の整理をし、人生を飛躍させたい方は
次元変更禅タロットセラピーを受けてみてくださいね。

深い深い青色の世界

満月の日は「浄化」ってよく言うけど
本当にその通りだなって思った今夜の月。


数十年、ずっと心の中で止まっていた「時」が少しだけ動く瞬間。

この瞬間を見せていただけることは、
なぜこんなにも私の心を震わすのだろう。

止まっていた「時」の中にあったものは
海の底に近いところにある黒がかった深い青色。

この深い青色の中にいることは
苦しさや悲しさをと共にいる、という感覚に近いのかもしれないのだけど

その苦しさや悲しさの真ん中にあるものは
ずっと長いこと大切にしてきた「宝物」なのです。


その宝物が大切で大切で。
だからこそ、その「想い」をずっと抱きしめていたのだなと思うから。


だから、その深く暗い青色は、冷たい青ではなく
暖かみのある、どこか清楚さを感じる青色なのです。
(この色の解釈は、ご本人様がそう捉えているとくことではなく
私にはそのように見えるというだけものです)


苦しさや悲しみのの感情って、ネガティブなイメージだし
どうにかしてその感情から逃れたいって思いがちだけど


ネガティブな感情なのだとしても、その前提が愛なのだとしたら
その感情さんたちに「そこにいていいんだよ」と言ってあげたいと
思うのです。


数十年、ずっとその感情さんたちに寄り添いながら、
そっと抱きしめながら、大切に大切に守ってきた方なのだな~
って思ったら、

もう、それは「愛に溢れている」としか見えない。

その感情さんたちと共にそこにいる、と決めた
なんていうか「覚悟」みたいなものすら感じてしまうのです。


そんな深い深い愛の世界を、少しだけ分かち合えたという喜びは
何物にも代えられない素晴らしい時間なのだと思うのです。


そして、そのような時間を私に見せていただけるということに対して
私はなんて恵まれているのか、と思わずにはいられません。


心に寄り添うって、簡単なことじゃない。

その方の大切にしたい「想い」を、どのように扱うかって
人によってそれぞれだし、捉え方は千差万別で、
正しいやり方というのがあるわけではありません。


だからこそ、その方の大切にしてきた想いを少しだけ見せて頂けたとき、
その繊細過ぎる部分に、そっと触れさせてくれる許可を出してくださるとき、

私の心が「喜び」という表現は適切ではないかもしれないけれど
それに近い感覚で振動をしているのを感じるのです。


そして、その「時」が、もう少し先の未来に
何かしらの大きな流れを生み出すのだということを
もっと大きな宇宙的視点で眺めることができる自分で在りたい。

そう思っています。