満月の日は「浄化」ってよく言うけど
本当にその通りだなって思った今夜の月。
数十年、ずっと心の中で止まっていた「時」が少しだけ動く瞬間。
この瞬間を見せていただけることは、
なぜこんなにも私の心を震わすのだろう。
止まっていた「時」の中にあったものは
海の底に近いところにある黒がかった深い青色。
この深い青色の中にいることは
苦しさや悲しさをと共にいる、という感覚に近いのかもしれないのだけど
その苦しさや悲しさの真ん中にあるものは
ずっと長いこと大切にしてきた「宝物」なのです。
その宝物が大切で大切で。
だからこそ、その「想い」をずっと抱きしめていたのだなと思うから。
だから、その深く暗い青色は、冷たい青ではなく
暖かみのある、どこか清楚さを感じる青色なのです。
(この色の解釈は、ご本人様がそう捉えているとくことではなく
私にはそのように見えるというだけものです)
苦しさや悲しみのの感情って、ネガティブなイメージだし
どうにかしてその感情から逃れたいって思いがちだけど
ネガティブな感情なのだとしても、その前提が愛なのだとしたら
その感情さんたちに「そこにいていいんだよ」と言ってあげたいと
思うのです。
数十年、ずっとその感情さんたちに寄り添いながら、
そっと抱きしめながら、大切に大切に守ってきた方なのだな~
って思ったら、
もう、それは「愛に溢れている」としか見えない。
その感情さんたちと共にそこにいる、と決めた
なんていうか「覚悟」みたいなものすら感じてしまうのです。
そんな深い深い愛の世界を、少しだけ分かち合えたという喜びは
何物にも代えられない素晴らしい時間なのだと思うのです。
そして、そのような時間を私に見せていただけるということに対して
私はなんて恵まれているのか、と思わずにはいられません。
心に寄り添うって、簡単なことじゃない。
その方の大切にしたい「想い」を、どのように扱うかって
人によってそれぞれだし、捉え方は千差万別で、
正しいやり方というのがあるわけではありません。
だからこそ、その方の大切にしてきた想いを少しだけ見せて頂けたとき、
その繊細過ぎる部分に、そっと触れさせてくれる許可を出してくださるとき、
私の心が「喜び」という表現は適切ではないかもしれないけれど
それに近い感覚で振動をしているのを感じるのです。
そして、その「時」が、もう少し先の未来に
何かしらの大きな流れを生み出すのだということを
もっと大きな宇宙的視点で眺めることができる自分で在りたい。
そう思っています。