見えない世界が見える、ってみなさん憧れるのですかね。
私も昔は「見える人になりたい」って思っていたなあ~
でも今は、「見える」とは「視覚的に見る」ことではないと思っている。
視覚的に見えていることが正しいとも限らない。
見える、ということを「今自分が見えているのと同じように見ていること」
という思い込みを外してしまうといい。
例えば、前世を見たいと思ったとき
見ようとしても見えない、という方がいる。
そんなとき、そのかたはどういっているかというと
「何も見えない。真っ暗です」
あるいは
「何も見えない。真っ白です」
とか、そんなふうに言う方が多い。
そんなとき、「真っ暗で見えない」という解釈を
「真っ暗が見えている」にするだけで、見える世界は広がるのだ。
真っ白も同じ。
「真っ白が見えている」にすれば次の展開に進み始める。
見えない、とするか、見える、とするか。
これ、見ているものは同じなんだけど「前提」が違うのだ。
そうすると、見える世界の解釈が変わる。
そしたら「見えない世界」が「見える」ようになる。

過去の記憶を書き換えるときも
このような方法を使ったりするけど
私は、「セラピスト側が勝手に書き換える」ということは基本しない主義です。
「答えはその方が知っている」ので
書き換えたほうがいいのであれば、その方が自分で書き換えることができる。
癒すって、本当は誰かにしてもらうことではなく
自分が過去の自分を癒していくことなのだ。
誰かに救ってもらおうとするのではなく
自分自身が自分と向き合い、自分に愛を与えてあげるというのが
癒すということなのだと思う。
自分を救うのは自分しかいないのだよね。